ヨーコとカヨコ
おはようございます
今朝もウォーキングで海へ
沖には船、手前にはサーファー
今の時期はしゃけ釣り人も多くなります
身内ネタです
私の母、ヨーコとその妹カヨコ
ともに80代前半です
この姉妹はず~っと一緒の仲良し姉妹
そしてなぜかいつも近くに住んでます
いまは私も含め全員未亡人になりました
叔母のカヨコはわたしがまだ幼稚園くらいのころから
常にそばにいました
アルビオンの美容部員をしていた叔母はとてもきれいで
いつもきれいにメイクして、ハイヒールを履いて背筋もピッとして
いわゆるかっこいいキャリアウーマンでした
逆にうちの母、ヨーコは洋裁師で地味系だしかなりおチビちゃん
マルイデパートのオーダー服の仕立てをしていた母は
納品のためいつも夜はいなかった記憶があります
(実際は週に一度だったらしい)
まだ幼い弟とオバケのQちゃんとみながら寝たのを覚えてます 笑
二人は、浦臼という農家の娘たちでした
すごい田舎です
でも広大な土地を持ち農家としては成功したほうだったよう
使用人もいたりして家はかなりでかかったです
子供ながらにその家のトイレに行くのがものすごく怖かった💦
(絶対にオバケ、いたと思います 笑)
ともかくヨーコとカヨコはいつも一緒
特にヨーコが結婚した後からはずっとそばにいました
やがて、カヨコも結婚しました
結婚式のウェディングドレスはヨーコが縫ったミニのウェディングドレス
確か28歳くらいの晩婚で地味婚。
でも当時のミニのウェディングドレスは衝撃だった気がします
しかも総レースだった気がします
叔父がまた超イケメンで晩年までいい男でした
カヨコが結婚した後もすぐ近くに住んでいました
ふたりはいつも行き来してました
その旦那たちも特に不満はなかったようで
仲の良い親戚、、という感じで。
それからかれこれ・・何度か引っ越ししましたが
常に近くに住んでいた二人
聞くと「たまたま」と言うけれど・・
だから週末や正月はいつもどちらかの家で宴会していました
わたしが高校生から専門学校に行ってたころは
札幌市白石区というところに家を建てました
最初にカヨコ宅が建ち、のちにヨウコ宅も建ちました。
自転車で行き来できる距離です
それからはほぼ毎日のように行き来していましたね
よくそんなに話すことがあるなと思うくらいず~っと話してるのです
だからといってそれ以外の人間関係がなかったわけではなく
親戚付き合いがないわけでもありませんでしたが
ともかくいつも一緒の姉妹でした
そんなに仲の良い姉妹っているでしょうか・・・・( *´艸`)
晩年になって、ヨーコ家は白老に移住しました
自然がいい!温泉もある!というのでセカンドハウスを建てたのです
(そのころはわたしはもうとっくに千葉に住んでいました)
そうしたら、なんということでしょう
叔父が白老に転勤になったのです
そういう運命なのでしょう
そうとしか思えません
そうして今現在もヨーコとカヨコは同じ町に住んでるのです
そして二人の子供たちは私以外は関東にいます
北海道にいると、一度はそこから抜け出したいと思うものです
たまに従妹たちとも会うことがありますが
ヨーコとカヨコがそろうと二人でずっと話してるのです
子供たちとはたまにしか会えないのに
いつもそばにいるのだから今話さなくてもね
と言って苦笑いし合う感じでした
現在は二人を乗せてよくドライブにいくのですが
今も後ろの座席でず~っと二人で話してます
でも年のせいですぐに同じ話になるし
とんちんかんなときもあったりして、、(*´ω`)
あえて指摘せず放置してます (笑)
二人とも未亡人になった時期も一年と違わないのです
そこまで仲良くしなくても。。
二人とも病で亡くなったので介護する時間があったのが救いでしょうが
どこまで一緒なんや!と思っちゃいます
ふたりともヘルパーさんが来ないときは一人で介護してたので
相当大変だったと思うのですが、
ほどほどなところで亡くなってるのできっと
旦那たちも示し合わせたような気がしています
「この人にはもう限界だろう」的な
こちらに移住してきたので私が二人のこれからを見るようになるでしょう
これが宿命かもしれません
これからのわたしは、ヨーコとカヨコ
そして息子夫婦の助っ人のために時間を使うことになるでしょう
なにもしてきてないからね 💦
それも宿命
来週は二人を連れてユニガーデンというところに行きます
コキアが見ごろなので写真を撮りたいのです
また後ろの座席でぺちゃくちゃやるでしょう
同じ話を何度も 笑
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